奇跡的に津波を逃れた6機のブルーインパルス。
そこにあったドラマをあなたは知らない……。
東⽇本⼤震災で壊滅的な被害を受けた宮城県・松島
基地に所属するブルーインパルス。⾃⾝も家族も被
災者でありながら、復旧⽀援に没頭する隊員たち。
再び故郷の空を舞う⽇は来るのか。震災直後からの
約2年半、隊員たちに密着し、彼らの葛藤を追った
ドキュメンタリーが、ついに映画化!
この『絆 再びの空へ Blue Impulse』が、東日本大震災から丸3年となる直前の3月9日から、
首都圏での公開となることが決まりました。
なお、公開初日の3月9日には、
シネマート新宿(新宿区新宿3 丁⽬13 番3 号 新宿⽂化ビル6F)にて、
16:35の回の終映後に監督の手塚昌明氏による舞台挨拶も行われます。
[youtube]http://youtu.be/zRnhApkcWxw[/youtube]
作品のあらすじ
ブルーインパルスは、1960 年に創設されたアクロバット⾶⾏チーム。
航空⾃衛隊の「第4 航空団第11 ⾶⾏隊」として宮城県の松島基地に所属している。
松島基地は2011 年3 ⽉11 ⽇の「東⽇本⼤震災」の津波に襲われ、壊滅的な被害を受けた。滑⾛路は使⽤できず、航空機の全てが流され使⽤不能となっていた。
ブルーインパルスの機体も流失、機体を持たない部隊となって解散となる筈であった。しかし、ブルーは⽣き残った。
遠く九州・福岡の芦屋基地に、
翌⽇のイベントの為に、機体、⼈員共に移動していたのである。
松島基地の航空機で唯⼀残ったのはブルーインパルスのT-4だけだったのだ。
それは、まさに奇跡だった。交通機関が⿇痺している中、
輸送機とバスを乗り継いで松島に戻ったブルーの隊員は被災地に向かった。
被災した⼈達の⼒になるために。隊員の中には、被災した家族を持つ者も少なくない。
よ。
彼、
出。
2 か⽉後、ブルーインパルスは芦屋基地での訓練を再開するが、
のた。
しかも、⾃分たちが⾶んでいる間も、
苦労。
⾃分たちは⾶んでいて良いのか。
しいのだろう?
ブルーインパルスの皆の⾃問⾃答の⽇々が過ぎていった。
松島の⼈たちは、救難機以外の⾳がしなくなった町で、
震災前のようにブルーに⾶んで欲しいと願っていた。
町の上をブルーインパルスが⾶ぶ。
それが町が元通りになるということだから……。震災から4 か⽉、ブルーインパルスは被災地・東松島の空を⾶んだ。
復興を願って開催された<元気祭り>のイベントとして。
予想を超える⼤勢の⼈たちが震災後初の、ブルーの⾶⾏を⾒るために集まり、
空を⾒上げて、歓声を上げてくれた。
その時からブルーインパルスは、再び空を⾶ぶ意味を⾒出していた。
⾃分たちが、かつてのように⾶ぶことこそが「東⽇本⼤震災」を
乗り越える⽇本の“勇気”を⽰すことなのだと。
しかし、訓練時間は不⾜していた。
以前と同じアクロバット⾶⾏をすることはできない。
パイロットたちは苦悩していた。
しかし、彼らの帰還を待つ⼈たちが居る。
彼らの帰りを待つ家族たちがいる。
それに答える為に、ブルーインパルスは、
空に向かって⾶び続けた。
『絆 再びの空へ Blue Impulse』
監督 ⼿塚昌明
撮影・編集 ⼭﨑隆⼀
録⾳ 永⽥秀之
選曲 北村早織
語り ⽟川砂記⼦
協⼒ 防衛省 航空幕僚監部広報室
第4 航空団第11 ⾶⾏隊
制作
Banaple,inc
1991,inc
© 2014 Banaple,inc/1991,inc
(本編 約100 分)
公式サイト:http://livespire.jp/movie/kizuna.html
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