【訃報】フィリピン・ルバング島から戦後30年して生還した小野田寛郎元陸軍少尉が亡くなる

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フィリピン・ルバング島のジャングルで、太平洋戦争終了後も29年間、潜伏し、生還した元陸軍少尉の小野田寛郎(ひろお)さん(91)が16日午後4時29分、東京都内の病院で死去した
-朝日新聞 Digital-

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引用:-朝日新聞 Digital-

小野田寛郎さんはどんな人?
Wikipediaはコチラ

小野田さんは、戦時中に情報将校を育成する陸軍中野学校二俣分校を経て、1944年にフィリピン・ルバング島に着任し、遊撃指揮・残置諜者(※注記説明)の任務を与えられる。
ー(以来、30年間 任務解除の命令を受けられないまま戦闘を続行)ー

※↓小野田自然塾のWebサイトによる用語の説明

遊撃指揮
(ユウゲキシキ)
ゲリラ戦について、未教育の部隊や兵員に実地で指導すること
残置諜者
(ザンチチョウジャ)
敵の占領地内に残留して 味方の反撃に備え各種の情報を収集しておく情報員
*攻撃を予定する方面に事前に潜入し 同様な任務に付く者を「先遣諜者」と言う
(共に旧陸軍の遊撃戦闘教令の軍用語)

小野田さんは、終戦を知らず1974年まで約30年間、戦闘を続けてきた方です。
日本に帰還後は、一旦、ブラジルに渡り、その後、再び日本に戻り、サバイバル塾『小野田自然塾』を立ち上げるなど、精力的に活動。
数々の著書も執筆されました。

激動の人生を歩まれた、小野田さんのご冥福をお祈りします。

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横須賀 敦史

1978年生まれ。酒(ウィスキー&ラム)とプロレスとバカ映画をこよなく愛す中年男子。サバゲーでは、ついつい前に出たくなり、わりとソッコーでヒットされてしまうのであまり戦力にならない。記者歴は丸13年(2014年現在)で、撮影と執筆担当。取材に行くのが三度の飯と同じくらい好き。学生時代は戦場カメラマンになりたかったが、「サバゲーを撮る」という、とっても安全かつピースフルな形で夢を叶えた。

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